齋藤憲彦(さいとうのりひこ)という人物を
知っているだろうか?
アップルと特許訴訟になったことで
貧困生活に陥った貧乏発明家!
どうも早耳リサーチのtetsuです!
NHKの番組、逆転人生
最強アップルVS.貧乏発明家を
見ましたか?
改めて齋藤憲彦(さいとうのりひこ)さんが
どんな人物なのか?
どうして特許訴訟になってしまったのか?
徹底リサーチします。
目次
貧乏発明家、齋藤憲彦(さいとうのりひこ)さんのプロフィールは?
アップルと特許訴訟になった
齋藤憲彦さんは、昭和32年1月20日生まれ
1980年、東海大学海洋学部海洋学科卒業
1980年、株式会社富士通SBC入社
制御ソフト開発、制御用OS/BIOS開発
米国JAIMS留学
1983年、デジタルリサーチジャパン入社
OS周辺ソフトのポーティング
1984年、ポセイドンテクニカルシステム設立
各種制御ソフト請負
ロボティックス
線形電子加速器制御
1998年、訴訟対象になった入力装置の特許出願
2004年、iPodミニ発売
2007年、特許侵害対抗開始
2013年、東京地裁(9月26日)判決
2014年、知財高裁(4月24日)判決
こんな経歴を持つ人。
どうしてアップルと特許訴訟になってしまったのか?
齋藤憲彦さんはどうして発明家になったのか?
齋藤憲彦さんの中高時代は発明ブームだった!
あのソフトバンクの孫社長も「一日一発明」と
発明をしていたそうです。
同世代の齋藤憲彦さんも発明の面白さに
目覚めていきます。
高校に入ってからは、発明に関する本や
特許法の本を読んで学んでいたそうです。
そして、発明学会に送ったりと
発明の経験を積んでいきます。
齋藤憲彦さんの仕事の経歴は?
齋藤憲彦さんはまず富士通系の、
ソフトウェアの開発をする会社に就職
3年ほど勤めた後
ベンチャービジネスブームの影響で
自分でも何かしたいと思い
外資系のOS作成会社に転職!
1年ほど技術を磨き、起業の道へ進む。
ポセイドンテクニカルシステムズ株式会社を
立ち上げて。制御システムのソフトウェアの
請負がメインの仕事をする。
最盛期は社員が50人くらいまで成長!
モトローラ系のCPUのために作られたOSの
専門家集団ということで、国のプロジェクトで
依頼がかかってということもある。
その後、バブルが初めて倒産。
そして、残された資源は発明だけだと
心に決めて、高校生の時のように
発明ノートを毎日取り始めまる。
その結果、自分の能力をぶち込んで、
起死回生の一作としてクリックホイールの
原型になるアイディアが完成!
齋藤憲彦さんの特許の道のり
最初の特許出願が平成10年の年始
SONYの携帯電話ジョグダイアルキーを
ヒントに発明する。
一つの特許だけだと簡単に回避されたり、
無効にされてしまうため、
関連特許を複数用意。
同日に6つの特許を出願する。
特許の登録は手間と時間がかかる!
平成10年に出願して、15年に早期審査を
かけていたものが、ようやく平成18年に
登録された。
齋藤憲彦さんのアップル訴訟への道のり
平成15年の初め、iPodの2代目が
タッチホイールを搭載していた!
そのiPodを見た齋藤憲彦さんは
「これは私の発明じゃないか!」
それから、
アップルジャパンの窓口へ電話。
初めは門前払いだったが、
特許番号を告げるとアップル側から連絡がくる。
アップルは、特許出願を買い取りたい提案を
出してきたが、齋藤憲彦さん納得できず、
喧嘩別れのようになる。
その後、特許訴訟に強い、上山先生を
味方につけて、アップルと交渉するも
いい返事がこない。
当時は数十億の請求をしたが、
アップルは応じない。
そこで、話し合いで上手くいかないときは
東京関税に申し立てる。
なぜなら、
特許権侵害での税関差止は、
ハードルが高い印象
税関で差止できればアップルも相当慌てる。
そこから、裁判所でやり取りが始まる。
10年近い年数がかかったが、
特許権侵害と3億円ほどの損害賠償金が認められました。
けれども、齋藤憲彦さんは納得しない。
日本の技術者が低く見積もられている。
技術に対する値打ちの正当性がない。
だから、日本の技術者は、韓国や中国に
流れてしまう。と齋藤憲彦さんは言う。
齋藤憲彦さんの今後は?
新しい入力装置を考えている齋藤憲彦さん。
三次元眼鏡に関するようなもの。
クリックホイールは、齋藤憲彦さんの発明を
スティーブが全世界に広めたようなものだと
考えるようにしている。
今度は、もっと強力な発明をして、
スティーブなしでもう一度世界を
取りたいと考える齋藤憲彦さん
すでに構想はあって、特許書類を
書き始めている自信作!
まとめ
齋藤憲彦さんをリサーチして
初めて特許の流れが分かった。
そして、日本の技術者が低く見られていることも!
齋藤憲彦さんが初めて個人が大企業に
勝つ判例を作ってくれたことで、
泣き寝入りしない技術者が増えてくれればと思う。
そして、モノづくり大国日本が
特許をしっかりと取り、世界に向けて
さらに成長してくれたらって思います。