東京オリンピックまで1年!
どうも早耳リサーチのtetsuです。
日本のパラリンピックアスリートが熱い!!
パラリンピックでは日本はメダルを
めちゃめちゃ獲得している!
パラアスリートには凄い人が多い!
そこで、
視覚障害柔道の新星!
瀬戸勇次郎(せと ゆうじろう)選手をリサーチしました!
目次
視覚障害柔道ってどんな競技?
瀬戸勇次郎(せと ゆうじろう)選手の
凄い経歴を紹介する前に!
視覚障害柔道とはどんな競技なのかを説明するね。
健常者と同じ体重別競技
障害のレベルによって区別せず
健常者と同じ体重別で行われる!
試合は組み合った状態から開始
健常者の柔道と大きな違いは、
組み合った状態から始まること!
だから、組手争うがなく。
開始と同時に技の応酬で
ダイナミックな試合なのが特徴!
選手同士が離れれば、「待て」がかかり、
組んだ状態でまた開始される!
その視覚障害柔道に新星が現れた!
瀬戸勇次郎(せと ゆうじろう)選手のプロフィールは?
日本はパラリンピック全ての大会で
メダルを取り続ける凄い国。
そして、
視覚障害柔道で注目を集めているのが
瀬戸勇次郎(せと ゆうじろう)選手

瀬戸勇次郎選手は66キロ級の選手
17歳の時に健常者の柔道から
視覚障害柔道に転向しました。
そして、19歳の時、転校してから
2年足らずで全日本選手権を初制覇!!
快進撃を見せる瀬戸勇次郎選手は
どうして、視覚障害柔道に
転向することになったのか?
それは、
先天性の色覚異常を抱えていたから!
自分では見えているつもりだった・・・
けれども、
周りの人が見えているものが見えない。
黒板の文字が見えなくなっていき
日差しが強いと何も見えない。
日常生活にも支障がでて、
信号の判断ができない。
先天性の色覚異常が瀬戸勇次郎選手の
日常を奪っていった・・・
それでも、大学の柔道部では
健常者と一緒に稽古に励む。
瀬戸勇次郎選手の凄いところは?
男子66キロ級の視覚障害柔道で
全国優勝を飾った瀬戸勇次郎選手の
凄さは、“かわす”技術!
組んだ状態で開始する視覚障害柔道は、
開始と同時に技の応酬がはじまる!
開始5秒で1本が決まることも
珍しくない!
瀬戸勇次郎選手“かわす”技術は
視覚障害柔道を制するための
重要なスキル!!
この“かわす”技術を磨くために、
瀬戸勇次郎選手は無意識に体が
反応するまで、体に叩き込む!
“かわす”技術を磨くことで
瀬戸勇次郎選手は全日本優勝の道を切り開く!
瀬戸勇次郎選手は全日本選手権優勝を果たす
競技歴2年足らずで、瀬戸勇次郎選手は
全日本選手権を果たした!

相手は、藤本聡選手!男子66キロ級
パラリンピック5大会出場の3連覇の覇者43歳
王者として君臨していた藤本聡選手を破る!
藤本聡選手とは、連敗続きからの戦歴は2勝2敗。
藤本聡選手は東京パラリンピックが最後と
決めて日本選手権に真っ向から挑む。
そして、“かわす”技術を体に叩き込んだ
瀬戸勇次郎選手が藤本聡選手の技を
次々とかわし、全日本選手権優勝を決めたのだ!
瀬戸勇次郎選手の柔道は挫折から始まる
4歳から始めた柔道。
健常者の大会に出続けていたが、
勝つことはできなかった・・・
視力がどんどん奪われる
先天性の色覚異常。
柔道なんて楽しくない
苦痛の連続だった。
高校で柔道はやめる
そう決意していた瀬戸勇次郎選手は
もう1つの柔道に出会う。
高校3年の夏に視覚障害柔道に出逢い
転向を決める!!
瀬戸勇次郎選手は視覚障害の影響で
組手が苦手だった、弱点だった。
しかし、
瀬戸勇次郎選手は、視覚障害柔道に
転向することで、転機が訪れる。
組んだ状態で始まる視覚障害柔道
瀬戸勇次郎選手に弱点が無くなったのだ!
そして、猛特訓の末、
瀬戸勇次郎選手は2年足らずで、
全日本選手権優勝した!
瀬戸勇次郎選手は言う!
「今が一番楽しい」と、
そして、瀬戸勇次郎選手は
東京パラリンピックの代表候補に選ばれている。
まとめ
瀬戸勇次郎選手をリサーチしてみて
感じたことは、底辺にいながら
柔道を続けてこれたメンタル。
4歳の頃から、高校まで
楽しくなかった柔道。
毎日投げ飛ばされて、嫌に
なりながらも続けてこれた。
瀬戸勇次郎選手は続ける勇気が
諦めなかった勇気が今を作っている。
けれども、僕は思う。
瀬戸勇次郎選手が諦めなかった勇気が
あったのも、苦痛の中にも
何かしらの楽しさがあったからだと思う。
もしかしたら、視覚障害というハンデが
あることで、続ける勇気があったのかもしれない。
続ける意味、理由を見いだせた
瀬戸勇次郎選手だからこそ、
全日本選手権優勝を掴んだのだと思う。
瀬戸勇次郎選手の活躍を応援しています。
東京パラリンピックの代表に選ばれることを祈って